ひなげし (雛芥子) 

学名  Papaver rhoeas
日本名  ヒナゲシ
科名(日本名)  ケシ科
  日本語別名  ノハラヒナゲシ、グビジンソウ
漢名  虞美人(グビジン, yúměirén)
科名(漢名)  罌粟(オウゾク,yīngsù)科
  漢語別名  麗春花(レイシュンカ,lichunhua)
英名  Corn poppy, Common poppy, Field poppy, Cup poppy
2007/04/19 薬用植物園
2008/05/22 薬用植物園

 ケシ属 Papaver(罌粟 yīngsù 屬)については、ケシ属を見よ。
 漢名 虞美人の由来については、誌を見よ。
 英名の Field poppy, Corn poppy は、畑に普通の雑草であることから。Cup poppy は、花の形から。
 なお、フランス語名はコクリコ Coquelicot。
 地中海地方・中&東ヨーロッパ・歐洲ロシア・カフカス・西&中央アジア・西ヒマラヤに分布。
 麻薬成分は含まない。
 日本には、宝永(1704-1711)年間に渡来。
 野生のヒナゲシは、花の色は赤・ピンク・白、4瓣の一重咲き。
 こんにち、花壇・鉢植えなどに栽培観賞されるのは、園芸品種シャーレーポピー Shirley poppy。
 花の色は赤・ピンク・白・覆輪など、一重咲き・八重咲きがある。
 中国では、花・果実・全草を薬用にする。
 秦末の大乱のとき、楚(そ)の項羽と漢の劉邦は 天下をかけて戦った。202B.C.、愛妾 虞美人を連れた項羽は、劉邦軍により垓下(がいか,安徽省霊壁県)に包囲せられ、「四面楚歌(しめんそか)」するを聞き、観念して決別の宴を催した。項羽は「垓下の歌」を歌い、虞美人らはみな泣いて別れを告げた。
 項王(項羽)の軍、垓下に壁(へき)す。兵少く 食尽く。漢の軍及び諸侯の兵 之を囲むこと数重。夜、漢の軍の 四面に皆 楚歌(そか)するを聞き、項王 乃ち大いに驚きて曰く、「漢、皆 已(すで)に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人(そひと)の多きや」と。項王 則ち夜 起(た)ちて帳中に飲す。美人あり、名は虞(ぐ)、常に幸(こう)せられて従ふ。駿馬あり、名は(すい)、常に之に騎す。是に於て、項王乃ち悲歌慷慨し、自ら詩を為(つく)りて曰(いわ)く、

    力は山を抜き 気は世を蓋
(おお)ふ。時 利あらず 騅 
(ゆ)かず。
    騅 逝かず 奈何
(いかに)かすべき。虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いかん)せん。

と。歌ふこと数闋
(すうけつ)。美人之(これ)に和す。項王、泣(なみだ)数行下る。左右 皆泣き、能(よ)く仰ぎ視るもの莫(な)し。(司馬遷『史記』項羽本紀)
 以下は伝説だが、このとき虞は次のように和したのだという。
 漢兵 已に地を略し、四方 楚歌の声。
 大王 意気尽
(つ)く、賎妾(せんしょう)何ぞ生を聊(やす)んぜん。(『楚漢春秋』)
 虞が殺されたあとに、その鮮血から真紅の花がさいた。世の人は、それを虞美人草と呼んだという。
 宋の曾鞏
(そうきょう)の「虞美人草」に、
 ・・・
 三軍散じ尽きて 旌旗
(せいき)倒れ、玉帳の佳人 座中に老ゆ。
 香魂夜剣 光を逐
(お)ふて飛び、青血化して原上の草と為る。
 ・・・
 ただし、虞美人の名がヒナゲシと結びつけられたのは、後の明清の事である。
  
 日本では、『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 春之部」に、「美人草 末。草立・花形、けしのことく、小りん。くれない八重・ひとへ、白八重・一重あり」と。

   昨日君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草
(ひなげし)のさく
   ひなげしのあかき五月にせめてわれ君刺し殺し死ぬるべかりき
     
(北原白秋『桐の花』1913)
 

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