ひなげし (雛芥子)
学名 |
Papaver rhoeas |
日本名 |
ヒナゲシ |
科名(日本名) |
ケシ科 |
日本語別名 |
ノハラヒナゲシ、グビジンソウ |
漢名 |
虞美人(グビジン, yúměirén) |
科名(漢名) |
罌粟(オウゾク,yīngsù)科 |
漢語別名 |
麗春花(レイシュンカ,lichunhua) |
英名 |
Corn poppy, Common poppy, Field poppy, Cup poppy |
2007/04/19 薬用植物園 |
|
辨 |
ケシ属 Papaver(罌粟 yīngsù 屬)については、ケシ属を見よ。 |
訓 |
漢名 虞美人の由来については、誌を見よ。
英名の Field poppy, Corn poppy は、畑に普通の雑草であることから。Cup poppy は、花の形から。
なお、フランス語名はコクリコ Coquelicot。 |
説 |
地中海地方・中&東ヨーロッパ・歐洲ロシア・カフカス・西&中央アジア・西ヒマラヤに分布。
麻薬成分は含まない。
|
日本には、宝永(1704-1711)年間に渡来。 |
野生のヒナゲシは、花の色は赤・ピンク・白、4瓣の一重咲き。
こんにち、花壇・鉢植えなどに栽培観賞されるのは、園芸品種シャーレーポピー Shirley poppy。
花の色は赤・ピンク・白・覆輪など、一重咲き・八重咲きがある。 |
誌 |
中国では、花・果実・全草を薬用にする。 |
秦末の大乱のとき、楚(そ)の項羽と漢の劉邦は 天下をかけて戦った。202B.C.、愛妾 虞美人を連れた項羽は、劉邦軍により垓下(がいか,安徽省霊壁県)に包囲せられ、「四面楚歌(しめんそか)」するを聞き、観念して決別の宴を催した。項羽は「垓下の歌」を歌い、虞美人らはみな泣いて別れを告げた。
項王(項羽)の軍、垓下に壁(へき)す。兵少く 食尽く。漢の軍及び諸侯の兵 之を囲むこと数重。夜、漢の軍の 四面に皆 楚歌(そか)するを聞き、項王 乃ち大いに驚きて曰く、「漢、皆 已(すで)に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人(そひと)の多きや」と。項王 則ち夜 起(た)ちて帳中に飲す。美人あり、名は虞(ぐ)、常に幸(こう)せられて従ふ。駿馬あり、名は騅(すい)、常に之に騎す。是に於て、項王乃ち悲歌慷慨し、自ら詩を為(つく)りて曰(いわ)く、
力は山を抜き 気は世を蓋(おお)ふ。時 利あらず 騅 逝(ゆ)かず。
騅 逝かず 奈何(いかに)かすべき。虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いかん)せん。
と。歌ふこと数闋(すうけつ)。美人之(これ)に和す。項王、泣(なみだ)数行下る。左右 皆泣き、能(よ)く仰ぎ視るもの莫(な)し。(司馬遷『史記』項羽本紀) |
以下は伝説だが、このとき虞は次のように和したのだという。
漢兵 已に地を略し、四方 楚歌の声。
大王 意気尽(つ)く、賎妾(せんしょう)何ぞ生を聊(やす)んぜん。(『楚漢春秋』) |
虞が殺されたあとに、その鮮血から真紅の花がさいた。世の人は、それを虞美人草と呼んだという。
宋の曾鞏(そうきょう)の「虞美人草」に、
・・・
三軍散じ尽きて 旌旗(せいき)倒れ、玉帳の佳人 座中に老ゆ。
香魂夜剣 光を逐(お)ふて飛び、青血化して原上の草と為る。
・・・ |
ただし、虞美人の名がヒナゲシと結びつけられたのは、後の明清の事である。
|
日本では、『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 春之部」に、「美人草 末。草立・花形、けしのことく、小りん。くれない八重・ひとへ、白八重・一重あり」と。 |
昨日君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草(ひなげし)のさく
ひなげしのあかき五月にせめてわれ君刺し殺し死ぬるべかりき
(北原白秋『桐の花』1913)
|
|